2015年 週刊少年ジャンプ金未来杯 順位予想
金未来杯
週刊少年ジャンプの今や恒例企画。
金未来杯。
ジャンプで連載を目指す新人達が読み切りを順々に誌面に載せ、読者のアンケートで最も多い票を稼いだ作品が連載デビュー権を獲得できる、いわば週刊少年ジャンプで連載するための登竜門的存在になっている。
私の記憶が正しければ、毎年近未来杯にエントリーされる作品は4−5作品程度であったと思うが、今年は何と7つもの作品がエントリーされた。
今回の金未来杯が始まる前は、有望な作品が多く集まった豊作な年だったんだなと思う反面、編集者で数が絞れないのはどうなのかと思うところもあった。
だが、それは7個目の作品が載った週刊少年ジャンプ41号が発売され全作品を読み終えて、シャンプ編集部の気持ちを察することができた。
これは絞れない。
だが、近未来杯という企画上この7作品には優劣がついてしまう。
だからこそ一読者である私が 今回は、この7作品の順位予想をしてみたいと思う。あくまで私個人の感想なので、あしからず。 では早速発表。
1位 少女復旧リカバリーQ
2位 GALAXY GANGS
3位 カーボネーター
4位 DEADMAN KILLER
5位 幻獣医トテク
6位 クラマの閃
7位 龍刃伝ガガ丸
となった。
基準としては、まず面白かったかどうか。独自色があるかどうか。記憶に残るかどうか。になるのかなと思う。
なかなかに難しい順位づけであった。恐らくジャンプ読者の全員が全員バラバラな順位になっているように思う。
それでは一つ一つ振り返ってみたい
少女復旧リカバリーQ
まず、言語チョイスが他の作品と比べてずば抜けて良かった。
女子の巨大化して下半身を見てのモブコンビの台詞、「ちょっとでかすぎんよ、この女の下半身」「最近見た下半身の中で一番でかいぜ」「ありゃ下半期ナンバーワン大下半身候補だわ」
思わず言いたくなる、語感の良さ。
終始、言葉のやりとりがこんな感じでスルリスルリと物語が頭に入ってくるのは作者の類まれなるセンスの賜物であるだろう
先生との絡みは思わず、声を出して笑ってしまった。
「大きくなるのは夜のワシだけで十分」というボケのスルーは作者の作品作りに対する余裕が感じられた。
惜しむらくは、ジャンプの読者層に合った作風や画風ではないことか。どちらかというとガンガンでやってそうな雰囲気を作品中から出しており、コメント欄でも「お前の漫画はジャンプじゃない。と散々言われてきました」と書いている。
ただ第三者に、散々そう言われているにも関わらずジャンプに読み切りを載せるその実力と執念はこれから連載に繋がった時に絶対に良い方向に爆発するだろう。
ジャンプの作風とはベクトルが違ったこの作品が、連載に見事繋がり他作品と上手く住み分けができることを祈るばかりである。
GALAXY GANGS
世界観がとても良かった。
読み切りの舞台となった惑星モグロスの風景画も、地球とは違った星を想像させてくれるには十分に機能しているように思うし、なおかつごちゃごちゃしすぎないでいたのは作品の背景にもずっと作用しており、それが読みやすさにも繋がっていた。
人物紹介も作風にあった感じで外していなかった。
何よりも、私の印象に残ったのが読み切りというP数が限られている中でタイトルコールを2P使うという大胆さ。
1P目でそれは済ましているのに、更に見開きを使って再度行う作者の胆力には驚きを禁じ得ない。
その2Pを使って、物語やキャラを掘り下げるということもできただろう。 この読み切りの敵はテンプレ通りの善人を演じる悪党。
確かに2Pをこの敵メイクに割けていれば、更にオリジナルティあるストーリー展開に出来たとは思うが、そんなことは勿論作者も十分に承知の上であろう。それでも自分のセンスを優先させた作者のこだわりにも心惹かれてしまったのだ
ただ、心惹かれた反面、それでもやっぱりストーリー展開がザ・王道的過ぎたのがマイナス点になり、2位となった。
カーボネーター
センスが良かった。
一見して、画力がちょっと……と思ったが、読み進めていく内に作風と妙にマッチしていることに気づき、その嫌悪感は読み終える頃にはどこかに消えてしまっていた。
世紀末感と少し古めかしい敵のリアクションだったり、自分の技の説明台詞だったりは現代のジャンプには合ってないようにも思えるが、だからこその特別感もこのカーボネーターには確かに存在していた。
適役のモヒカンが消えてしまう直前に主人公のジェイコブが投げかけた言葉「お前が死ぬと悲しむ人って一人でもいるか?」に対し、「いねぇ」「そうか。そりゃあ…いいことだよ…よかった」のシーンなんかは、笑いを誘っているのか涙を誘っているのか分からない、非常に繊細なバランスで構築された良いシーンだったように思う。
全体的に古臭いけど、そこに作者の絶妙なセンスが混ざり合って新しい作風になっている稀有な作品であった。
DEADMAN KILLER
オシャレ感が良かった。
作品全体に流れる作者のセンスが光るオシャレな空気感が心地よかった。特にフリガナが自分に良く突き刺さった。
〈覚醒〉『グッドモーニング』
〈解錠〉『グッドイブニング』
〈覚醒〉『おはようさん』
〈不条理〉『サプライズ』
なんかの読ませ方は、非常に中二心をくすぐられる所があって読んでいて楽しかった。
ただ、バディものであるかのような作品だったのに、片方の大晴が後半空気だったのは残念だった。
またこのオシャレ感を武器にしていくに当たって、最大の難関が一つ。
それは同紙面上にはBLEACHという他の追随を許さない圧倒的オシャレ漫画が存在するということだ。
正直、同じ土俵で闘うには分が悪いとしか良いようがないのはジャンプ読者である人ならばひしひしと感じられるだろう。
なかなかこの作品で連載に持っていくには超えなければならないハードルが高過ぎるように思える。
幻獣位トテク
ストーリー展開が良かった。
読み切りマンガの王道パターンの一つ。あからさまに悪い敵が出てきてそれを主人公が倒すといういわば、ストーリーのテンプレを外してきたところにとても好感を持った。
主人公トテクの自己犠牲感も、非常に主人公らしくキャラクターにも非常に好感が持てた。
「夢狼症」の説明なんかは、他の病気の説明も聞きたいなと思わせる程しっかりしており、他の病気にはどんなものがあるのか興味を沸かせ、幻獣を治すという物語の主軸の奥を読者に想像させてくれているように感じられた。
ただこれはもう個人の好みによる問題だとは思うが、全体的に地味なイメージが拭えなかった。バランスがとれている反面、突出した部分がなくまとまりすぎていた。インパクトが大事な読み切りではそれはかなりのディスアドバンテージであるだろう。
一年後この作品を覚えているかと問われれば、難しいと言わざるを得ないと思ってしまうところが、この順位である理由である。
時間が取れなかったので、6位、7位は時間が取れた時に追記したいと思う。
皆さんの順位はどうだっただろうか?
俺TUEEEより、努力型主人公がやっぱり良い
現代病NARUTO
BORUTO観てきました。
昨今ではでは努力型の主人公は敬遠されがちで、最初から最強系のいわゆる俺TUEEEE系の主人公が流行傾向にあるので、ボルトが使ってしまった科学忍具もその流れに乗ったものであるのでしょうし、ボルトの台詞にもあった修行なんて時代遅れなんだよというのは、技を簡単に成立させてしまう科学忍具が目の前にあったら、つい言ってしまうのは現代っ子の私も共感してしまいます。
だからこそ、褒められたものではないボルトの行動にもイライラ感はそこまで募りませんでした。
ただジャンプで連載していた作品の後継の作品である以上、主人公には努力は必要な要素です。
ジャンプの三台柱の努力・友情・勝利。これらを満遍なく満たしていたからこそ、NARUTOはここまでの人気漫画になれたと思っていますし、BORUTOもNARUTOの続編作品として発表するなら、そこを無視するわけにもいきません。
ちゃんと努力
この映画でボルトが努力をする描写といえば、サスケに弟子にしてもらうために行った螺旋丸の修行でしょう。
この螺旋丸の修行は非常に良かったです。
ジャンプでは修行のエピソードは人気投票が落ちるという話がありますが、螺旋丸の修行はなんか出来そうと思わせて実際に水風船や、ゴムボールを見たら1回はやってしまう魅力があります。不人気代表の修行の話でここまで魅力を作ったこともNARUTOの魅力の一つであるように思います。
だからこそ、ボルトが木の葉丸から螺旋丸を教えてもらい、修行しているシーンはサラダと一緒に私もニヤニヤして眺めてしまいました。
ボルトがゲームでチートを使っていたり、科学忍具を使ったりと今回の映画では、昨今の努力軽視の流れと向き合っているように思いました。
コツコツと積み上げてきたものがあるから、読者や視聴者も主人公の活躍を受け入れられるし、望むことができます。
それはNARUTOがジャンプでの連載で証明してきたことです。
皆に愛されるコンテンツになるためには、努力を重ねる主人公が必要条件のように思います。
全体の感想
ただそんなことを考えなくても、NARUTOを現役で追いかけてきた世代は、木の葉の里の新たな青葉達を親目線で見ることができます。
あんなに新キャラが増えても、全く混乱しないで済むのはキャラクターが出来ているからこそだなぁと思いましたし、NARUTOという作品の素晴らしさを再確認できました。
中忍試験のダリィのガム風船忍術は、原作の後半で乱発される大規模すぎる忍術で大型忍術に食傷気味になっていた私に、昔のNARUTOを思い出させてくれるようなワクワクさと規模感でとても宜しかったです。
良い所しかほとんどなく、岸本先生のこれ以上のものはもう書けませんという宣伝文句に違わない最高傑作の映画だったと思います。
最後の戦闘には少し首を傾げてしまうところ(術を吸収する眼がボルトのクナイ一刺しで使い物にならなくなるところとか)もあったけれど、長期コンテンツの強みである作品の歴史とストーリーが上手く融合して、非常に上質な映画に仕上がっていたと思います。
正直、自来也がワンカットだけ出てくるところだけでも涙腺にくるものがありますよね。
今の若者達へ友情・努力・勝利の大切さを教え、成人した大きなお友だちには、親心を教えてくれる人気漫画の続編という立ち位置を上手く使った、これからのアニメ映画のお手本になるような作品でした。
最後にサスケが本編よりもイキイキしていることが、この映画の一番の見所でした。
下ネタという概念が存在しない退屈な世界にこれから日本はなっていくのだろうか?
今期もその作業をしていた私に、とんでもないタイトルのアニメが挑戦状を叩きつけた。
下ネタという概念が存在しない退屈な世界 1 (初回生産限定版) [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2015/08/26
- メディア: Blu-ray
- この商品を含むブログ (1件) を見る
ガガガ文庫 下ネタという概念が存在しない退屈な世界(イラスト完全版)
- 作者: 赤城大空
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2012/10/19
- メディア: Kindle版
- クリック: 2回
- この商品を含むブログを見る
オリジナルアニメがこれからのアニメ業界を盛り上げるkeyになる
オリジナルアニメと原作有りアニメ
今クールのアニメも始まりました。数多あるアニメの中で注目が高い作品があります。
Charlotte
DVD1巻初週売上3.4万枚を記録したAngel Beats!を世に出した麻枝さんとP.A.WORKSが再び手を組んだということで期待せずにはいられない作品です。
現在2話まで放送されましたが、原作がないオリジナルアニメであるが故に先の展開が予想できず、私自身毎週を楽しみにさせて貰っています。
今までも私はオリジナルアニメの先が読めない性質から、毎クールオリジナルアニメの存在を心待ちにしています。夏クールもCharlotte以外にもオリジナルアニメは放送されています。
現在アニメ戦国時代と言っても過言では無いほど、アニメが作られています。その数実に47本。その内漫画、ライトノベルを原作とした作品が多数を占めています。アニメ化することで原作の売れ行きが伸び、原作があるからアニメが作りやすいと提供する側と製作社同士でwinwinな関係が構築できるので、この体系が続くのも理解出来ます。しかし、原作があるアニメには致命的な欠点が在ります。それは、
ネタバレです。
ほとんどの原作付きのアニメは原作をなぞります。故に、アニメの展開で先が気になっても原作を見てしまえば一週間先を待つ必要もなく、更に言えばアニメの最終話まで理解できてしまう環境に視聴者は存在してしまいます。 自分で原作を見なければ、良いじゃないかという話ですが、今はネット全盛期の時代。ふとした瞬間に、そのつもりがなくても原作を読んだ人からのネタバレに合ってしまうことも十分にあり得るのです。一週間空けて放送する媒体である以上、その特性も活かした作品を作っていくことも必要だと思います。先の展開が分かってしまう物語ほど興ざめなものはありません。
その点オリジナルアニメは、初出がその作品であるために先の展開を確認する術がないので、ネタバレに合うことは有りません。むしろ先の展開を他の視聴者と予想しあうことが出来ます。受け身になってしまうアニメ視聴に、能動的な行動が加わることで違った楽しさと刺激を提供することができるのです。
この方式をとって直近の作品で有名な先品といえば、魔法少女まどか☆マギカが挙げられるでしょう。
予想のつかない展開で視聴者を翌週まで興味を常に惹きつけていました。映画も総集編含め三本作られ、その内の一本は興行収入20億円を突破する大ヒットとなりました。これは視聴者の興味をずっと掴み続けてきた故の結果であり、オリジナルアニメの有るべき姿の完成形とも言えます。
Charlotteの面白いネタバレ
さてCharlotteに話を戻すと、このアニメはある面白い試みをしました。 第一話放送前に、なんと13話全サブタイトルを全て公開したのです。 これもある種ネタバレの一種です。せっかくオリジナルアニメであることで活かせるネタバレが起こり得ない利点を自ら放棄するような愚行かと、一瞬私は思ってしまいました。しかし、冷静にこのサブタイトルを眺めていると、逆にこのCharlotteに興味を惹きつけられました。 試しに見てみて下さい。
Charlotteを見ていない人のために、CharlotteのPVも置いておきます。
Charlotte TVアニメ「シャーロット」PV第2弾 - YouTube
ここで、悲しい話がくるんじゃないかな、Charlotteという物語のタイトルになっている11話が物語の核心になるのか? 等寧ろ期待が膨らむネタバレになっていませんか?
そして、サブタイトルをバラしたくらいで分かるような単純なストーリーではないという自信の現れとも取れます。
麻枝さんのインタビューで6話まで絶対に見てくださいというお話がありました。
そして、charlotteのメインビジュアル。
一枚目と二枚目のビジュアルの落差。そして6話のタイトルの『気付かなかった幸せ』
果たして何が起こるのか。現在2話まで放送されましたが、ヒロインの兄が科学者の無慈悲な実験により廃人になってしまい、悲惨な状態なっていたことが明かされたことからも、これからそれ以上の惨劇が起こり得ます。 どうでしょうか? ワクワクしませんか?
もし原作があれば放送を待ちきれずに、私は既に全巻揃えていたことでしょう。しかし、それはできません。次の放送までこのワクワクできる気持ちはオリジナルアニメならではものです。もちろん原作があるアニメも、演出が素晴らしくアニメでしかできない表現で、紙媒体でしかない作品の魅力を底上げしている作品も多数存在し、アニメから自分の知らなかった素晴らしい作品に出会えることもあるので、単純にオリジナル>原作準拠という式を立てたいわけではありません。
ただアニメの本数がどんどん増えている今だからこそ、毎週を心待ちにできるオリジナルアニメも増えていって欲しいということです。
作品は日々数を増やしていっていますが、毎クールアニメになっている数も尋常ではない数になっています。このまま、今の状況で進んで行くと、アニメにすべき原作が枯渇するのは目に見えています。そうなった場合に必要なのはやはりオリジナル。もちろん只でさえアニメ作りには時間も人手も資金も不足しがちなのに、不安定要素が高いオリジナルをするにはリスクが高すぎます。しかし、日本のアニメ文化を支えた庵野さん曰く、日本のアニメ寿命があと五年と推測しています。
これから手をこまねいてアニメ業界が徐々に衰退してしまうリスクとアニメ業界を盛り上げていくために、不安定要素も高いオリジナルアニメを作るリスクを天秤にかけた時、果たしてどちらが重くなるのでしょうか?
オリジナルアニメの増加が、日本アニメを盛り上げていく重要な鍵だと私は思います。いち視聴者でしかない私が偉そうなことを言ってしまいましたが、日本のアニメはこれからも続いていって欲しいと切に願っています。
バケモノの子から教育がどうあるべきか今一度問い直そう
まず感想としては面白かったんですが、後半の展開が少し大味すぎたのと、お涙頂戴感が目に見えすぎたのもあって自分の中では失速感があったのが残念でした。
ただ引っかかたのはそこだけで、全体的には本当に楽しめました。物語とは主人公の成長を見せるものだけど、主人公を通して周囲もきちんと目に見えて成長していく様子がなかなか胸にくるものがあり、鑑賞後の爽快感は細田監督作品らしかったです。
ではこのバケモノの子という映画で監督は何を伝えたかったのか、自分なりに考えていきたいと思います。
主題と警鐘
繋がりとは血だけではない
血筋しか見ていない蓮の親戚と、蓮自身しか見ていない熊鉄。序盤でしっかりこの対比がしっかり示され、物語の展開的にも主題はこれだと思います。物語の中盤で、血の繋がりがある実父に強く当たってしまう蓮の描写もありました。人間にとって血は繋がりを示す重要な証拠です。しかし、時間もまた繋がりのためには重要な要素になり得るのです。
バケモノの子は、その繋がりを異種を使うことで強く表現した映画でした。
しかし、私はこの映画で伝えたいことはそれだけでなく、今の世の規制社会に対して警鐘を鳴らしているように思えました。何故私がそう感じたのか、記していきたいと思います。
白鯨
物語で蓮と楓を結ぶ重要なアイテムとして登場したメイブル著の『白鯨』。勉強不足のためにこの本を私は読んでいなかったので、wikipediaであらすじを読みました。
あらすじ
19世紀後半の帆船時代、アメリカの捕鯨船団は世界の海洋に進出し、さかんに捕鯨を行っていた。当時の大捕鯨基地・アメリカ東部のナンタケットにやってきたイシュメイル(物語の語り手)は、港の木賃宿で同宿した、南太平洋出身の巨漢の銛打ち・クイークェグとともに、捕鯨船ピークォド号に乗り込むことになった。出航のあと甲板に現れた船長のエイハブは、かつてモビィ・ディックと渾名される白いマッコウクジラに片足を食いちぎられ、鯨骨製の義足を装着していた。片足を奪った「白鯨」に対するエイハブ船長の復讐心は、モビィ・ディックを悪魔の化身とみなし、報復に執念を燃やす狂気と化していた。エイハブ船長を諌める冷静な一等航海士スターバック、常にパイプを離さない陽気な二等航海士のスタッブ、高級船員の末席でまじめな三等航海士フラスク、銛打ちの黒人ダグーやクイークェグ、インディアンのタシテゴなど、多様な人種の乗組員はエイハブの狂気に感化され、白鯨に報復を誓う。 数年にわたる捜索の末、遂にピークォド号は日本の沖の太平洋でモビィ・ディックを発見・追跡するが、死闘の末にエイハブは白鯨に海底に引きずり込まれ、損傷したピークォド号も沈没し、乗組員の全員が死亡する。ひとりイシュメイルのみが、漂流の末に他の捕鯨船に救い上げられる。
wikipediaより引用
熊鉄に瀕死の重傷を負わせた一郎彦は、連にとってまさに、マッコウクジラであったでしょう。悪の心が渦巻くビジュアルと共に、悪魔の化身と違わない存在になっていました。
その逆もしかりです。父親の地位を落とした、また自分と同じ存在である蓮に対する強烈な嫉妬心から一郎彦の目には、さぞ蓮は悪魔の化身に写っていたでしょう。
ただ、蓮は白鯨を知っていました。描写的に読了したのかは分かりませんが、楓からその物語を教えて貰っていました。もちろん楓からもらった赤いミサンガ? の助けもありますが、蓮の中に蓄えられた知識も蓮の悪堕ちを防いだことを助けたと思います。
両者の明暗分けたのは彼らが身を置いた環境でした。
知りたい欲を満たしてくれる環境と、うやむやにされる環境。
今の社会がどちらの環境であるかと問われれば、後者であるように思います。
賢人への出会いの旅
蓮達一行が各地にいる賢人に強さとは何かを尋ねにいくシーンがありました。賢人たちが各々己の強さの定義を持っていて、それが描写の表現も相まり非常に説得力があるものになっており、映像としても見応えのあるシーンに仕上がっていました。
ここで蓮が賢人たちの強さを聞いて、胸を踊らせていたのに対し、熊鉄は意味がないものと捉えていた比較もまた監督が伝えたいことの一部なのかと感じました。
知らないことを知ることは人間にとって喜びです。幼い頃は知らないことだらけでそれが顕著です。熊鉄は昔そういった環境下で育たなかったという描写がありました。
幼少時にそういった環境に身を置かなければ、蓮に出会う前の熊鉄のよう生きにくい大人になってしまうんじゃないでしょうか?
現代の規制社会に対するアンチテーゼ
以上のことから知りたいという感情に蓋をしてはいけないということを教訓にしている映画だったと感じました。
今は何かと規制、規制で真実を教えない事が多いです。偽物を教えられて、それが当たり前と思い成長して、いざその真実に直面した時に、果たしてその当人は真実を真実と理解できるのでしょうか。
純粋な知識欲に、教える側は誠実な対応を取るべきです。教育の本来のあるべき姿を、この映画からもう一度捉え直すべきではないかと、私はこの映画から汲み取りました。